人間関係

他の人に行うこと=自分に行っていること

爽風

一流のアスリートは敵がプレイしている時に失敗しろとは絶対に考えないと聞いたことがあります。

なぜなら、自分が相手に対して考える思いが自分のプレイにも影響を与えると知っているからです。

今日は脳のメカニズムとスピリチュアリティから自他一体と
ゆるしのメカニズムを紐解いていきます。

誰かに傷つけられたせいでこんな自分になってしまったと思っている方必見です!今すぐ完璧なあなたを取り戻しましょう。

脳は自他の区別がつかない

タイガーウッズというレジェンド的なゴルファーをご存知でしょうか。
彼は、相手の選手がパッティングしている時に「外せ!」とは絶対に考えない、
というお話を聞いたことがあります。

相手が打っている時でも、「外せ!外せ!」とお祈りのように思考していると、
自分自身にそれを願っているのと同じようになってしまうからです。

脳は思考している時に、自他の区別ができません。
ですから、例えば嫌いな人のことを考えて相手を批判していても、
そのメッセージを頭の中で聞いているのは自分自身であり、
脳は自分自身が言われていると解釈し、ダメージを受けるのも自分になるのです。
誰かを非難しているとき、非難を受け続けているのは自分だということです。

スピリチュアリティをベースに考えても、自他というのは一体であり、他人に与えるものが自分が受け取るものになるので、確かに、誰かを攻撃することは自分を攻撃していることになります。
しかも、相手がその攻撃を受け取るかどうかは相手の解釈次第なので(相手のセルフイメージが高ければ跳ね除けられてしまいます)結局、攻撃して損をするのは自分のみだということになります。幼稚園や小学校くらいの時から徹底的にこのことを子供に伝え続ければ、いじめなども減るような気がします。

リンゴを奪った人、奪われた人はどうなる?

例えば、相手が持っている一つのリンゴを自分のところへ無理やり奪って移動させれば、
相手のリンゴは減り、自分のリンゴが増えたように感じます。

しかし、「本当に」起こっていること(潜在意識レベルなどで)は、
リンゴを奪った人に増えたのは「自分は欠けていて不十分だ」という思い(ネガティブなセルフイメージの強化)なんです。

リンゴそのものではなく、他人から何かを奪った人は自分という人間は貧しいという意識をさらに自らの中に蓄積しているということになります。
そして、意識が現実化するので、一時的に無理やり得たリンゴがその人を満たすことはなく、「自分は不十分」という欠乏感や欠如した感覚から免れることはありません。
そしてその後、物理的レベルでもそのまま貧しい経験を体験していくことになるのです。

一方、リンゴを奪われた人はそのリンゴにこだわって、何でこんな事が起きてしまったのだろう……と自分を責めたり、自分を犠牲者だと認定すれば犠牲者としてその経験をし、さらなる犠牲を経験するかもしれません。
しかし、ひとつのリンゴを奪われたとしても、例えば「欲しがる人に与えたのだ」と解釈したならば、自分を豊かな者と認識することになり、豊かな経験が人生に増えていくことになります。
ですから、このような人からは何も奪う事ができないのです。
真に豊かな人とはたくさんの物をもっていて、それを失うことを常に怖れている人ではなく、「本当」の見方ができる人なのです。

嫌いな人の幸せを願う

「嫌いな人と離れる方法」などとしてYouTubeなどでも人気の動画がありますが、
そこでは決まって 「相手の幸せを願うと離れられる」とあります。

これも脳のメカニズムから言っても正しく、相手の幸せを願っている時、
自分の幸せを願っていることになり、自分にとって良きことが起こります。

その流れから、相手と離れられる流れがやってくるのですね。

また、嫌いな人というのはほとんどの場合、あなたを虐げるような人だと思うのですが、
その相手について思いを巡らし、その相手にやり返したり抵抗しなければと思っている時、
自分自身を弱める思考をしています。
それを考えている時、相手の言動で自分の何かが減ると思ってしまっているんですね。
それは、お金や物だけではなく、尊厳や気分の良さかもしれません。

しかし、相手からされることで自分が不利益を被ると考えるということは、
相手に力を明渡してしまっているのと同じこと
になります。

相手が本当にあなたを虐げるようなことをしているのであれば、相手は困っている人であり
本当に損なわれているのは相手です。

目に見える形ではあなたが損しているように見えても、あなたがそれを受け入れない限りは、
あなたは何も奪われません。相手は自分自身に対して行なっているだけなのです。

誰かを虐げる人というのはそもそも罪悪感がいっぱいで、罪悪感のループにはまっているのです。そして、あなたを虐げることで、その人自身がさらに罪悪感の沼にはまっていくのです。

そこで、そうした人を相手に仕返しをしたり、相手を責めたりして、
一緒に罪悪感の沼にはまっていくのか、自分はそこから出て、何からも影響を受けない自分を確立していくのか、それは自分で選択することができます。

相手をゆるすことは自分を解放すること

「誰かに対して怒りを持ち続けることは、自分に対して毒を注ぎ続けるようなもの」
という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

怒っている時に不快さを感じているのは自分自身です。
自分が怒りで苦しんでいるその時、相手はあなたのことを忘れているかもしれません。

最近はフキハラといって、不機嫌でいることで相手を支配しコントロールできると
誤って学んでしまった人が、不機嫌そうにしていることはありますが、
相手がそれを気にしてくれなければ、ただ単に一人で損をしている人です。

以前、私は母に「お前のことは絶対に許さない」と言われたことがありました。
その時に、「あなたに怒られていても痛くもかゆくもない。好きにしてください」
と伝えると、怒りで支配しようという行為があっけなく終わりました。

つまり、怒っていて損をするのは自分だけなのです。
誰かをゆるすというのは、自分を解放するという意味です。

ゆるさないで損をするのは自分だけ、ゆるして得をするのも自分です。

「他者=自分」という理論では、他の人をゆるすことで自分がゆるされ、
他人をゆるさない事で自分のこともゆるさない。ということであると同時に、
自分を苦しめる=他の人を苦しめる、自分を苦しみから解放する=他人を苦しみから解放する、ということになります。

いつも自分と他の人はセットなのです。そのように脳は解釈しています。

罪悪感のネガティブスパイラル合戦に加わらない

私たちの根強い自我の思考パターンには「誰かのせいでこうなってしまった」
というものがあります。
一度、それを採用してしまうと、次々と連鎖を生み出しその「人生ライン」に乗ってしまいます。
例えば、よく心理学やセラピー系の本などで「親の育て方や振る舞いがトラウマになり……」と見てしまうと、今、自分がうまくいかないのは親(誰か)のせいだ……
となってしまいます。そして、親と関わるたびに親のこの言動のせいで自分はこんな風に今もなお苦しんでいるのだ……という物語を紡ぎ続けてしまうのです。

実際に親子の間に何が起こってきたのかといえば、トラウマになったような出来事というのは
多くの場合、相手の罪悪感を渡されてしまったということなんですね。
つまり、罪悪感でいっぱいだった親がその罪悪感を持ちきれないほど自分を責めていて、
少しでも楽になりたいと罪悪感を渡そうとしてきたということなのです。
そして、子は見事にその罪悪感をもらってしまい、自らが苦しみ、その苦しんでいる子を見て親はさらに苦しみ、罪悪感を感じ、増えた罪悪感をさらに子に渡そうとしてきて、
さらに子は罪悪感をもらってしまい、今度は子が持ちきれない罪悪感を親に渡そうと試みて……ともう罪悪感渡しの応酬戦になってしまったということなのです。

この罪悪感のネガティブなスパイラルから外れるには、攻撃という形で罪悪感のパスがこちらにやってきた時に、「苦しむ」という形や直接の「攻撃」で応酬するのをやめるということです。
あなたのせいで不快で苦しんでいますよ。と行動で伝えれば相手はやめてくれると思いがちですが、相手の罪悪感が増えるために、その場では止んだように見えてもどこかでまた相手は罪悪感を渡そうと挑んでくるからです。または、攻撃がうまくいったと考えて、さらに罪悪感から逃れたい時は、罪悪感を渡そうとしてくるでしょう。

ですから、罪悪感を感じさせるために「やりかえす」というのを止める必要があるのです。
つまり、罪悪感をもらってしまった(攻撃された)と思ったら、罪悪感をパスし返すために苦しんでみせたり、反撃するというのを止めることで、そもそも罪悪感なんてこちらにパスできてませんけど!と跳ね返し、罪悪感自体に消え去ってもらうのです。
あなたが送ってきた弱っちょろい罪悪感攻撃なんて私になんて全く効いてないですけどと。

これで救われるのは誰でしょうか?
相手と自分の二人です。
罪悪感が存在すると思ってパスしあっているうちは、罪悪感に痛めつけられることに終わりがこないのです。
けれど、罪悪感を感じさせようとこちらにやってきても、それからなんの影響も受けないことを選択すれば、その罪悪感は二人の間から消滅します。

そして、起きてくる最も嬉しいこととは……
「相手のせいでこうなってしまったダメな自分」が消滅するということです。
罪悪感の応報をやめ、愛で対応するということで、原因となったと思っていた過去の傷自体が消滅するのです。
そして、現在、相手がゆるされているということは、過去に自分がそうなってしまった原因自体がなくなるので、自分ももはやダメでいる必要がないということになります。
ここでそんなことなど存在していなかった違うパラレルワールドに移動してしまうわけです。

現在、誰かを責めている=自分は傷ついている=自分は損なわれた状態
現在、誰かをゆるしている=自分は傷ついていない=自分は完全な状態

というロジックが成り立つのです。
起こったように見えた出来事をゆるすことで、完璧な自分を実現するのです。

ゆるすことで完全な自分を表明する

つまりもうこういうことなのですね。
相手をゆるすこと=自分は完全な存在だということを表明している

スピリチュアルな教えで、よく「パワーオブナウ」と聞いたりしますが、
本当に今ここの選択にこそ力があるんですね。
過去や未来、四方八方に広がっていくようなパワーがここに集約されています。

今、ゆるすことで過去にそれは起こっていなかったことにできる。
損なわれた自分など存在していなかったことにできる。

過去は自分を形作るなんの原因にもならなかったなんてなんて嬉しいことでしょうか。
他の誰も今の自分を形作る原因となってないなんてなんてパワフルなことでしょうか。

ゆるし、傷つくことをやめることで、完全な自分を取り戻しましょう。

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LIMITLESS主宰
無限である本当のあなたを思い出して、 最高の人生を現実化するサポートをしています。
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